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金沢地方裁判所 平成6年(わ)233号 判決 1999年3月24日

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、石川県警察官として石川県警察本部交通部交通機動隊に勤務し、交通指導取締り等の職務に従事していた平成三年二月一三日午後一〇時三〇分ころ、金沢市久安<番地略>付近の路上において、他の警察官らと共に乙川一郎に対する道路交通法違反被疑事件の捜査及び同人が自動車の運転を誤り路外の樹木に衝突するなどした交通事故現場の交通整理等に当たっていた際、乙川運転の普通乗用自動車に同乗していた丙山二郎(当時四〇歳)が、警察官らの捜査方法等について、酔余難癖を付け、身体を押し付けるなどして被告人に詰め寄ってきたことに対し、これを制止、制圧するため、頭部を下げた前傾姿勢の丙山の前方から、その身体を押さえ付けるようにしながら腹部を数回膝蹴りする暴行を加え、よって、同人に腸間膜断裂等の傷害を負わせ、同月一四日午前零時一五分ころ、金沢市有松<番地略>の有松中央病院において、同人を右傷害に基づく失血により死亡させた。

(証拠)<省略>

(争点についての補足説明)

一  弁護人は、犯罪事実とほぼ同旨の公訴事実に対し、被告人は丙山二郎が警察官らの捜査を妨害し又は妨害しようとしたため、丙山の行動を制止したことはあるが、公訴事実等で指摘されるような膝蹴りなどの暴行は加えておらず、被告人が丙山を制止する行動は正当な職務執行行為であり、また、この制止行動と丙山の死亡との間に因果関係はない、として無罪を主張し、被告人も、公判廷において、この主張に沿う供述をする。

二  丙山二郎が死亡するまでの経緯

証拠によれば、丙山二郎が死亡するまでの経緯は以下のとおりであり、この事実関係については概ね争いはない。

1  丙山二郎は、平成三年二月一三日の夜、建設会社の同僚の乙川一郎ら三人と金沢市内及び石川県石川郡野々市町内のスナックで飲酒した後、同日午後一〇時過ぎころ、乙川の運転する普通乗用自動車(以下「本件自動車」という。)に他の二人と共に同乗し、野々市町本町<番地略>のスナックの駐車場を出発した。しかし、右駐車場を出発してすぐに、交通指導取締りのため覆面パトカー(石川県警察本部交通部交通機動隊所属の無線番号石川四一九の車両、以下「四一九号車」という。)で警ら中の警察官に一時停止違反を現認されたことなどから飲酒運転の疑いを抱かれて停止を求められた。運転者の乙川は本件自動車を一旦停止させたが、飲酒運転の発覚を免れようとして再び発進させ、さらに、赤色の警光灯をつけ、かつ、サイレンを鳴らして追尾する四一九号車を振り切ろうとして走行を続けたが、同日午後一〇時一〇分ころ、野々市町高橋町方面から久安二丁目方面に至る道路途中の交差点を右折し、金沢市久安三丁目方面から同一丁目方面に向かう左方に湾曲した道路(以下「本件道路」という。)を走行中、運転を誤り、右側対向車線方向に車両を滑走させ、<番地略>付近の歩道縁石(コンクリート製で高さ約一五センチメートル)に乗り上げた後、同所の街路樹(直径約九センチメートルの桜の樹木)に車両前部を衝突させて樹木を折り、右前輪タイヤを破損して停止した(以下「本件事故」という。)。

2  本件自動車を追尾した四一九号車は、前記交通機動隊所属の若狹浩幸巡査が運転し、山本浩二巡査部長が同乗していたが、本件事故の直後その現場に到着し、若狹巡査と山本巡査部長は、本件事故の現場付近の本件道路上、久安一丁目方面に向かう進行車線上に停止した四一九号車から降りて本件自動車にすぐ駆け寄り、若狹巡査が運転席にいた乙川に、何故逃げたのかなどと質問を始めた。そのうち、本件自動車の助手席にいた丁村三郎と後部座席右側にいた丙山が降車し、興奮した様子で「パトカーが追いかけたから事故になった。どうしてくれる。」という趣旨の文句を口々に言い、山本巡査部長にくってかかったため、山本巡査部長は、丁村と丙山の両名を説得して四一九号車の後部座席に乗せ、自らは助手席に乗り込んで同車内で両名を説諭し、なだめていた。

3  前記交通機動隊所属の巡査であった被告人は、同日夜、田中將照巡査運転の覆面パトカー(無線番号石川四二〇の車両、以下「四二〇号車」という。)に土谷彰巡査と同乗して交通指導取締りの任務に当たっていたが、本件事故の現場付近を通り掛かった際、パトカーの赤色の警光灯が見えたこと、その直前に本件自動車を追尾中の四一九号車からの応援要請の無線連絡を受けていたことから、四二〇号車も本件事故の現場付近に久安一丁目方面から駆け付け、本件道路上に停止した。

被告人は、本件自動車に歩み寄り、付近にいた若狹巡査から本件事故の状況について説明を受けたが、その後、若狹巡査がその運転席に乗り込み、土谷巡査が交通整理を担当し、被告人が本件自動車の誘導を担当して、本件自動車を歩道上から立ち退かせ、久安三丁目方面の本件道路上に約二〇メートル移動させたことに伴って、田中巡査も四二〇号車を本件自動車の後ろまで移動させた。

4  被告人は、本件自動車を移動させた後、その運転者である乙川が酒臭かったため、飲酒検知等の準備をする目的で四二〇号車の後部座席に乙川を乗せ、同車内で同人にうがいをさせて待機していたが、そのうち、四一九号車内で山本巡査部長と話し合った結果、飲酒運転の件で運転手の乙川を取り調べることに納得した丁村が、四二〇号車内にいる乙川を四一九号車まで呼んで来るよう若狹巡査に依頼し、同巡査が四二〇号車までその旨言いに来たため、被告人は乙川と共に四二〇号車を出た。

5  丙山と丁村は、乙川の取調べをするので四一九号車内から出るよう山本巡査部長から求められ、同車の後部座席から外に出たが、丁村はすぐ同車の後部座席に戻ったので、四一九号車から一旦降りた山本巡査部長も再び同車助手席に乗り込んだ。一方、丙山は、四一九号車から外に出た後、その付近の車道上で交通整理をしていた土谷巡査に歩み寄り、「車をどうしてくれるんや。」などと大声で文句を言ったが、同巡査から「危ないから歩道の方へ行っといて。」などと言われ相手にされなかった。

6  被告人は、丙山が土谷巡査にからんでいる様子を見て同人らの方向へ近付いて行ったが、歩道上にいた被告人を見付けて近付いてきた丙山から、「車、どうしたんや。」などと大声で怒鳴り付けられ、執拗にからまれた。そのうち、この様子を見ていた若狹巡査が丙山の方を向く体勢で被告人との間に身体を入れて丙山をなだめようとし、その機会に、被告人は、その場を離れて四二〇号車の方へ戻ろうとしたが、丙山が被告人を追いかけようとしたので、若狹巡査が腕を伸ばしてこれを遮り、なおも進もうとする丙山の身体を横から両腕で抱え、「暴れたらだめや。」などと言って制止した。

7  被告人は、この様子に気付いて若狹巡査と丙山のところに戻り、上から押さえ付けるなどして丙山の行動を制圧し、その後、若狹巡査が丙山から離れたが、その際、丙山の頭部は顔を下向きにして被告人の腹部付近にくっついた状態で、身体は前傾しており、被告人はこの丙山を上から押さえている格好であった。

8  四一九号車内にいた山本巡査部長は、被告人と丙山がもみ合っている状況を見て降車し、丙山の方を向く体勢で被告人との間に身体を入れて両者を引き離し、被告人に乙川の飲酒検知を行うよう命じたが、このとき丙山は大きく息を吐きながらその場に両足を着いたまましゃがみ込み、肩を動かしながらの呼吸を繰り返していた。

9  被告人は、四一九号車へ行き、同車内で若狹巡査と共に乙川の取調べを行い、呼気検査のほか、鑑識カードの記載事項に従い、質問検査等を実施したが、その質問検査の開始時刻は同日午後一〇時三三分ころであった。

10  丁村は、乙川の取調べが行われている間、本件自動車の近くで山本巡査部長と雑談をしていたが、歩道脇の塀にもたれて座り込んでいる丙山に気付き、本件自動車の同乗者である戊田四郎と一緒に丙山を四二〇号車の後部座席に乗せた。しかし、間もなく、戊田は、田中巡査の指示で丙山を本件自動車の後部座席に移動させ、その後、田中巡査及び土谷巡査と共に、パンクしていた本件自動車の右前輪のタイヤを交換する作業にとりかかった。

11  被告人は、同日午後一〇時四〇分ころ、鑑識カードの作成を終えたが、そのころ四一九号車に山本巡査部長が乗り込んできたので、飲酒検知管検知結果濃度表の確認欄に乙川の署名、指印をもらう作業を山本巡査部長に依頼して同車から降りた。そして、被告人は、その後、本件自動車の後方に停まっていた四二〇号車の前照灯を照らしてタイヤ交換作業を助けようとしたが、そのときには作業はほとんど終わっていた。そして、右作業終了後、被告人は、田中巡査及び土谷巡査と共に、山本巡査部長の許可を得て、次の取締りに向かうため四二〇号車で本件事故の現場を離れた。

12  山本巡査部長は、若狹巡査と共に、四一九号車内で乙川及び丁村に行政処分及び道路交通法違反事件の裁判手続等について説明をし、同日午後一〇時五〇分ころ、若狹巡査が乙川に免許証の保管証等の交付をした後、乙川及び丁村に倒れた街路樹等の補修作業を指示した。そして、山本巡査部長は、乙川及び丁村が戊田と共にその補修作業をしている間、丙山の所在を確認するため本件自動車の中を外側からのぞき込み、同車後部座席に横たわった丙山がもがいている様子を認め、同車助手席側のドアを開けて声をかけたが、丙山は「痛い。痛い。」と繰り返すばかりであった。山本巡査部長は、その事実を丁村に伝えた上、被告人と丙山がもみ合っている状況を見ていたことから、同日午後一一時過ぎころ、四一九号車の無線を使い、被告人の乗っている四二〇号車に本件事故の現場まですぐに戻るよう指示したが、四二〇号車から他の違反車両の運転者を取り調べているので戻れない旨返答された。そこで、山本巡査部長は、本件自動車で丙山を近くの有松中央病院まで搬送することを決め、丁村と戊田が同乗し若狹巡査が運転する四一九号車に先導させ、丙山と乙川が乗った本件自動車を山本巡査部長が運転して同病院へ向かい、同日午後一一時五分ないし一〇分ころ金沢市有松<番地略>の有松中央病院に到着した。

13  丙山は、同日午後一一時二五分、医師が診察したときには、既に心停止、呼吸停止、瞳孔散大、対光反射なしという状態であり、その後、心臓マッサージやカウンターショック等の蘇生術を施されたが、翌一四日午前零時一五分に死亡した。

三  被告人による膝蹴りの行為の有無

1  被告人は、判示の日時、場所において、前傾姿勢の丙山を上から押さえ付けるようにして覆い被さり、被告人の右脇で丙山の頭部を抱えて下に押さえるような体勢になったことは認めるが、故意に膝蹴りをしたことはないし、客観的に被告人の膝が丙山の腹部に当たったこともない旨を公判廷で述べるので、まずこの点について検討する。

2  橋本明(目撃者)の供述の信用性

(一) 橋本明は、平成三年二月一三日当時、金沢市内に住む大学生であり、同日午後一〇時過ぎ、アルバイト先から自動車を運転して帰宅する途中、同乗していた友人の細谷剛史を野々市町高橋町内の同人の自宅まで送るため、本件道路を久安一丁目方面から進行したところ、本件事故の現場手前で交通機動隊の警察官に交通整理のため停止を求められ、後退を指示されたので少し後退して通行できるまで停止し、前方を見ていたとき、交通機動隊の制服を着た警察官が制服を着ていない一般人に対し膝蹴りを加えていた状況を見た旨証言する。

(二) そして、その状況についての橋本証言の要旨は、「前方車道上で交通機動隊の制服を着た警察官二人が一般人一人の両側から肩の辺りを捕まえ、三人が回転するように動きまわっていた。このとき警察官が一般人の腹部に膝蹴りを加えていた。二人の警察官の二人が交互に蹴ったのか、一人だけが蹴っていたのか、また、どちらが蹴ったのか、左右のどちらの足で蹴ったのかは分からないが、一般人は五、六回膝蹴りを加えられていた。そのうち、両側の警察官のうちの一人が離れ、残りの警察官と一般人が歩道上に移動し、その警察官が横から五、六回膝蹴りを加えていた。警察官は意識的に膝蹴りを加えており、はずみで膝が当たったというようには見えなかった。」というものである。

(三) 捜査報告書(甲二六)によれば、橋本は、右の目撃から三日後の平成三年二月一六日午後一〇時二〇分ころ、本件事故の目撃者を捜査するため現場付近で車両検問を実施していた警察官に対し、氏名、住所等を明らかにした上で、「二月一三日午後一〇時一〇分から二〇分ころの間に、自分の乗用車で「酒のアブサン」の方から横川町方面に向けて通りかかったところ、本件事故の現場付近で四人くらいの人が集まってもめている感じであった。白い線の入った青い服の者が足蹴りをしているのを見た。」旨申告し、かつ、後日の捜査協力の要請に応じる旨述べていることが認められる。

(四) 橋本は、その後三、四か月経って警察から連絡を受け、同年八月三〇日に詳しい事情聴取を受けて供述調書が作成されたことを皮切りに、平成四年一月まで警察官や検察官から何度か目撃状況等についての聴取を受けたり、実況見分に立ち会い、その供述調書や実況見分調書が作成されているが、その調書の内容には、本件事故の現場付近で停止して膝蹴りを目撃していたとき、橋本の乗用車の車幅灯だけではなく前照灯が点いていたか否か、膝蹴りの回数、警察官ら三人がもみ合っていたのが車道上であるか歩道上であるか、車道上のほか歩道上でも警察官が暴行していたか否かなどについて供述内容の変遷があることは、橋本自身が証人尋問で認めている。

弁護人は、橋本の供述内容には右のとおり変遷があること、目撃したときから六か月以上の期間を経過してからの供述であり、それまでの報道内容と警察に対する橋本の不信が相まって同人の記憶が増幅、誇張された可能性があることを指摘し、橋本証言の信用性には問題があるという。

確かに、橋本の供述については、右指摘の諸点を考慮しなければならないが、目撃から三日後の警察官への申告内容については、記憶の変容、歪曲をもたらすような影響を受けたものとは認められないし、その当時、橋本が特に記憶に反する事実を述べる動機、事情も窺われず、信用性は高い。

(五) 特に、丙山が死亡するまでの経緯として二の5ないし8で認定したとおりの事実が認められるところ、被告人が丙山の行動を制圧した二の7の状況で、丙山から離れるまで同人の身体を両腕で抱えていた若狹巡査は、その直後、四一九号車内で乙川に対する飲酒検知等を行う際、同人に対し、「警察官といってもいろんな人がいるのだからおとなしくしとる人ばかりじゃないんだぞ。」と言い、また、四一九号車に乗り込んだ被告人に対し、指の怪我を示しながら、「甲野さん、いつもおとなしい人が頑固なことするね。」「今ので手を怪我したがいね。」と言った、というのであり(公判調書中の証人若狹浩幸の供述部分)、若狹巡査の右言動は、その言動の時期、内容に照らし、被告人が右制圧の際にかなり強い有形力を丙山に行使したことを推認させる(なお、若狹巡査は、右の乙川に対する言動の意味について、交通違反をして逃走すると逮捕される場合もあるという趣旨を述べただけである、と説明するが、納得できる説明ではない。)。

そして、二の7の状況と右若狹巡査の言動は、目撃から三日後の橋本の警察官への申告内容を裏付けるものであり、「本件事故の現場付近において、二人の警察官と一人の一般人がもみ合う状態の中で、警察官が一般人の腹部を数回にわたり膝蹴りしていた。」という橋本証言の核心部分の信用性は高い。

(六) なお、橋本の車両の助手席に同乗していた細谷剛史は、「一旦停止した自動車が発進してから、左前方の歩道上を見ると、後で警察官と知ったライトブルーの制服を着た人三人くらいと制服を着ていない一人がもみ合いをしていた。制服を着た二人が私服の人を両側から押さえ付け、もう一人の制服の人が正面から私服の人の下腹部を少なくとも四、五膝蹴りをしていた。」旨を証言する。

この証言は、警察官が一般人の腹部を数回にわたり膝蹴りしていた、という部分については橋本証言の内容と符合しているものの、目撃した状況及びその内容において橋本証言とは異なる部分もある上、細谷は、平成三年八月の事情聴取及び同年九月の実況見分の際には、「警察官と一般人が一対一で取っ組み合いをしていたが、二人が殴り合うとか蹴り合うという状況は見ていない。」旨述べていたのに、その後、警察官が一般人を蹴った状況を見た旨述べるようになったという変遷があるほか、その蹴っている状況等(もみ合いのあった場所が車道上か歩道上か、蹴っていた警察官は二人か一人か、一般人を脇から押さえ付けていた警察官は二人か一人かなど)の説明内容にも変遷がある。

細谷は、当初の事情聴取で警察官の膝蹴りを見たと言わなかったのは、見たとおりのことを言うと警察からあれこれ言われるのではないかとの心配に加え、面倒な問題に巻き込まれたくないという逃げの気持ちがあったためであり、その後、母親に相談して本当のことを話すよう助言されたり、橋本からも、何故本当のことを話さないのかと言われ、隠し通すことはできないと決断して目撃状況を述べるようになった、と説明する。

そして、変遷の経緯についてのこの説明は、一応は納得できるものであり、また、橋本のその部分についての供述とも一致する。

しかし、細谷が警察官による膝蹴りの事実を事情聴取で述べるようになったのは橋本よりも更に時間を経過してからのことである上、細谷の供述には記憶の混同(事情聴取の段階で、本件事故の現場を通過した直後に、自動車内で、橋本とロサンゼルスで起きた暴動事件(客観的には本件事故の日から半月以上後の事件)のことを話したとも述べていた。)が認められることを考えると、膝蹴りの状況についての細谷の説明内容は、信用性に疑問を入れる余地がないわけではない。

したがって、細谷の証言があることにより橋本の証言の信用性が増強すると考えることには問題があるが、そうであるからといって、細谷の証言内容によって橋本の証言の信用性が減殺されるのものではない。

3  田中將照(膝蹴りを自認する被告人の供述を聞いた者)の供述の信用性

(一) 田中巡査は、二の11で認定したとおり、平成三年二月一三日午後一〇時五〇分ころより前に、被告人及び土谷巡査の同乗した四二〇号車を運転して本件事故の現場を離れ、同日午後一一時過ぎころ、山本巡査部長から受けた無線連絡の要請に応じることができないまま違反者の取調べを終え、その後、警らのため更に走行していた際に、四一九号車の若狹巡査から有松中央病院へ向かえと無線で指示され、間もなく同病院に到着したが、その駐車場にいたとき、膝蹴りを自認する被告人の供述を聞いた旨証言する。

(二) そして、その状況についての田中証言の要旨は、「有松中央病院の駐車場に四二〇号車を止めたところ、若狹巡査が同車の運転席側まで来て、『さっきの男、心臓止まっとる。』と言い、横の駐車場で待っているよう指示したので、四二〇号車を少し移動させて止めた。その後、後部座席にいた被告人が、『実は、さっき腹蹴ってん。ぐにゃっとした感じやった。』と独り言のような口調で言ったので驚いた。これに対し、助手席にいた土谷巡査が『腹蹴っちゃまずいですよ。』というようなことを言っていた。被告人が、続いて、『わしのせいかな。』と言ったが、被告人が蹴ったことを後悔しているように感じた。」というものである。

(三) 田中巡査は、このような被告人の供述があったことをしばらく明らかにせず、八か月以上経過した平成三年一〇月末、交通指導課長に初めて右事実を打ち明けている。

そこで、弁護人は、<1>このような経過となっていることについての合理的な理由がない。<2>八か月以上前の出来事を述べた田中巡査の供述には正確性に疑問がある。<3>丙山の心臓が止まったとしか聞かされていない段階で指摘するような供述を被告人がするのは唐突であるし、重大な責任を問われる契機となる発言を不用意に同僚の前ですることも特別の事情のない限りあり得ない、<4>被告人は、本件事故の二、三日後に、上司から丙山の死因を聞かされるとともに、本件事故の現場にいた警察官が丙山を蹴ったりしたか否かについて問われた際、同僚らと、仮に膝とか肘とかが腹に当たったら「感触的には、グニャーというような感じなんけ。」とか、「もし膝とか肘とかがおなかにゴーンって当たったとしたら、グニャーという感じでその場に倒れらんないがか。」というような会話をしたことがあるから、田中巡査はそのことを錯覚して供述している、などと主張する。

(四) しかし、田中巡査は被告人の同僚であるから、犯行を自認するような被告人の発言を聞いても、当初はこれを積極的に明らかにしなかったことは何ら不自然ではない。

田中巡査は、八か月以上経過してから被告人の前記発言の事実を明らかにした理由について、「交通指導課長から、いつまでもはっきりしない、皆が疑われる、という様なことを言われ、誰も何も言っていないことが分かった、何もしていない人まで要らぬ嫌疑をかけられると思ったので、参考になるような自分の知っていることを話そうと思った。」旨供述するところ、被告人に責任を押し付けなければ田中巡査に丙山の死についての嫌疑がかかる状況にあったわけではないし、同巡査が安易に被告人に不利益な供述をする理由も考えられず、この説明は十分納得できる。

しかも、田中巡査が供述する被告人の発言内容と被告人の右弁解とでは、発言のあった状況、発言内容、これが周囲の者に与える影響は大きく異なり、田中巡査がその状況を具体的に述べ、被告人の発言を聞いて「ただ驚くばかりでした。」と公判廷において明確に証言していることからみて、記憶の混同によるものとは考えられない。

弁護人は、被告人が唐突に、そのような不用意な発言をすることはない旨言うが、丙山の死亡という思いがけない重大な結果を聞かされ、被告人の膝蹴りと丙山の死亡が時間的に接近していることから、もしかしたら被告人の行為が原因となっているのではないかと心配して動揺し、咄嗟に前記のような言葉を漏らしてしまうということは、あり得ることで、唐突でも不自然でもない。

田中巡査の供述の信用性は高い。

なお、土谷巡査は、田中巡査が被告人の発言内容を明らかにした後の事情聴取の際にも、有松中央病院の駐車場に止めた四二〇号車内での被告人の発言内容を覚えていない旨供述するが、田中巡査の供述の信用性を減殺するものではない。

4  丙山の司法解剖を担当した大島徹医師は、丙山の腹部の内部の損傷について、作用面の異なる二つの内出血があり、一つは丙山の死亡原因となった腸間膜断裂を生じさせた外力によるものと考えられるが、もう一つの内出血を生じさせた外力は腸間膜断裂には寄与していない旨鑑定し、証言している。

大島医師は、後述のとおり、腸間膜断裂を生じさせた外力による内出血について膝頭より作用面の広いものを想定しているが、丙山の腹部に外力が二回作用していることを前提としている。

そうすると、本件事故による車内受傷の可能性を想定する後述のような見解によるとしても、丙山の腹部に外力が二回作用することは考え難く、少なくとも一回はこれ以外の機会に外力が作用したものと考えざるを得ない。このことは橋本証言及び田中証言を客観的に裏付ける事情というべきである。

5  橋本の供述には、膝蹴りを加えた警察官が二人の可能性を推測させる部分もあるが、被告人以外の警察官が丙山に膝蹴りを加える状況になかったことは証拠上認められるところであり、被告人もこれを主張するものではない。

そして、これまで認定した事実によれば、被告人が丙山に膝蹴りを加えた警察官であると認められるから、判示のとおり、被告人が丙山の腹部を故意に数回膝蹴りする暴行を加えた事実(ただし、後述するとおり、丙山の腹部に打撃を与えた部位を被告人の膝頭に限定する趣旨ではない。)を認定する。

四  膝蹴りと丙山の死亡との因果関係の有無

1  本件事故の際、丙山が本件自動車内で腹部を強打した可能性について

(一) 丙山は、本件自動車の後部座席右側に乗車していたものであり、本件事故の際、運転席又は助手席のシート等車内の各部に身体を打ち付けたことが一応想定されるから、死亡原因となった腸間膜断裂を生じさせるほどの外力が丙山の腹部に加わった可能性について検討する。

(二) 本件事故の状況は、二の1で認定したとおりであるが、本件自動車は、本件事故により右前輪を破損したが、その他には、前部のウレタン製バンパー(バンパーとスカートが一体となったもの)及びナンバープレートがやや曲損し、擦過痕が生じている程度の損壊であり、タイヤを交換しただけで事故後の走行にも問題がなかった。

(三) 本件自動車を運転していた乙川、助手席に乗車していた丁村及び後部座席左側に乗車していた戊田の供述(同人らの供述調書及び証言)によれば、同人らは、本件事故当時、いずれも座席ベルトを装着していなかったが、本件事故の際、乙川及び丁村は、ハンドル、フロントガラス、ダッシュボード等に頭部や胸部等を打ち付けることはなく、戊田も、縁石に乗り上げた瞬間、車内の天井に頭が少し触れる程度にお尻が少し浮き上がり、助手席の背もたれにぶつからないよう無意識に左手で支える格好をした程度であったと言う。

また、乙川、丁村及び戊田は、本件事故当時、丙山の身体が運転席や助手席の方へ乗り出す体勢になったことや同人の身体と車内で接触した覚えはない旨、さらに、本件事故の後、丙山が身体を車内で打ち付けたような言動をしていなかった旨供述する。

(四) 丙山は、二の2で認定したとおり、本件事故の直後、山本巡査部長に「パトカーが追いかけたから事故になった。どうしてくれる。」という趣旨の文句を言っているから、パトカーに追尾されて逃走していることを認識していたもので、泥酔等の状態のため相応の防御体勢をとることもできなかったという可能性はない。

しかも、丙山が本件自動車から降車した後の言動には、被告人ともみ合いをした後にしゃがみ込むまでの間、車内で腹部を強打したことを窺わせる言動は一切ない。

(五) 本件自動車は、長さ四・六九メートル、幅一・六九メートル、高さ一・三七メートル、乗車定員五人の乗用自動車(平成一年式日産セフィーロ、オートマチィック車)であるが、丙山が本件自動車内で腹部(なお、鑑定人大島徹作成の鑑定書等によれば、腸間膜断裂は第四腰椎の高さにあるというのであり、この断裂を生じさせた外力も下腹部に加わったものと解される。)を打ち付ける可能性があると考えられるものとしては、助手席背もたれの角付近ないしヘッドレストであるが、車高等からみて、丙山の上半身が助手席背もたれを越えるか上半身を反らせて腹部を突き出すというかなり不自然な体勢を想定しなければならない。また、運転席と助手席の背もたれの間に入り込んで助手席背もたれの横で腹部を打ち付ける可能性についても、かなり蓋然性の低い態様であるが、その場合には反動で元の座席に戻るとか速やかに起きあがって元の体勢に戻ることを想定することは困難である。

しかも、丙山がそのような不自然な体勢になった場合に、同乗者の誰も気付かないとは考えられない。

(六) 中原輝史は、本件自動車と同一の車名、型式の自動車を用いたダミー実験の結果、「実験車による縁石乗り上げ時のダミーの車内における移動状態は、右カーブ、急ブレーキによる遠心力の作用及び慣性によって、左斜前方向に移動し、運転席と助手席の間に倒れ込み、胸部等を衝突させることとなる。」とした上で、「ダミーにおいては、人のような身体の柔軟性が無いために胸部を衝突させるに止まるが、人の場合であれば、更に、前方に移動し、腹部付近を衝突させるに至る事もあるものと思われる。」という(同人作成の鑑定書)。

しかし、ダミーを用いた再現実験においても、頭部か胸部を打ち付けるにすぎなかったのに、人間であれば何故腹部を打ち付ける可能性があるかについての合理的な説明はなされておらず、証人尋問においても同様であり、抽象的な可能性を指摘する以上の意義を有しない。

(七) 以上検討したところによると、本件事故の際、死亡原因となった腸間膜断裂を生じさせるほどの外力が本件自動車内において丙山の腹部に加わった可能性を想定することは困難である。

2  膝蹴りと死亡の因果関係の医学的相当性について

(一) 公判調書中の証人大島徹の供述部分(大島証言)及び鑑定人大島徹(大島鑑定人)作成の鑑定書(甲九七)によると、司法解剖時に丙山の腹部に以下の損傷が認められる(以下、大島証言とその鑑定書の内容を「大島鑑定」ともいう。)。

(1) 腹部内景において、大網を構成する脂肪組織のほぼ全面、すなわち、左右径約二二センチメートル、上下径約一六センチメートル程度の範囲内において、脂肪組織内には播種性・稍密に散在する点状出血があり、血管内には血液が貯留している。また大網の下部にあたる小腸表面漿膜下、並びに腸間膜の腸管付着側には、ほぼ粟粒ないし米粒大、一部小豆大くらいの大きさの漿膜下出血が散在し、これらの出血の存在範囲は、概ね右大網出血の範囲に相当している。

(2) 大網下部の深部に相当する下腹部正中やや左寄りにおいて、腹直筋の腹腔側筋膜面、及び同下部にあたる腹膜において、左右径約六センチメートル、上下径約七センチメートルの範囲に広がる出血があり、その上縁部においてほぼ示指頭面大のやや強い出血があり、右出血部に対応する下腹部脂肪組織内には粟粒大程度の点状出血が散在し、血管内には血液が貯留している。

(3) 右(1)(2)のさらに内景、すなわち、正中やや左寄りの腸間膜において、腹部大動脈分岐部よりやや上方の第四腰椎の高さで、二箇所の断裂がある。

(二) 丙山の死因が腸間膜断裂部からの出血に基づく失血であることは、大島鑑定人のほか、捜査段階で丙山の死因等について鑑定を受託した若杉長英(若杉鑑定人)及び高津光洋(高津鑑定人)がいずれも認めるところであり、弁護人もこれを争わない。また、(3)の腸間膜断裂が(1)の出血をもたらした外力によって生じたものであること、(2)の出血をもたらした外力は腸間膜断裂とは無関係であることについては大島鑑定人及び若杉鑑定人が一致して認めるところであり、高津鑑定人もこれらの点については特段異なる意見を述べていない。

しかし、弁護人は、腸間膜断裂の成傷器は膝ではなく、腸間膜断裂の発生時刻(換言すれば、出血開始時刻)も本件事故の当日の午後一〇時三〇分より前である旨主張する。

そして、右の二点(成傷器及び出血開始時刻)については、右三名の鑑定人の意見が一致していない。

そこで、以下、人間の膝が成傷器であり、腸間膜断裂発生時刻が午後一〇時三〇分ころであるという認定の相当性を医学的観点から検討する。

(三) 成傷器及び腸間膜断裂発生時刻に関する三名の鑑定人の意見の概要

(1) 公判調書中の証人若杉長英の供述部分(若杉証言)及び若杉鑑定人作成の鑑定書(甲九九)の意見の概要(以下、若杉証言とその鑑定書の内容を「若杉鑑定」ともいう。)

<1> 大網出血の状況から、腹腔内に一様な力が作用したと考えられるので、成傷器は作用面が凸型あるいは半球状に湾曲している鈍体である可能性が高く、人間の膝はこれに該当する。

<2> また、腸間膜断裂の大きさから見て、動脈損傷は疑う余地がなく、動脈損傷の場合、受傷直後の出血の勢いは極めて強い。また同鑑定人の経験では、この程度の腸間膜断裂であれば、一〇分ないし二〇分で致死的な出血量に達すると考えられる。緩徐な出血の場合、死亡に至るまでの出血量が急性出血の場合よりも多くなることがあるが、そのような場合は、脳が著しい乏血状になるはずである。しかし、大島鑑定書には脳の異常所見が記載されていないのであるから、緩徐な出血が継続したとは考えられない。

<3> したがって、丙山の腹腔内出血は急性のものであり、午後一〇時三〇分ころ腸間膜断裂が発生したとするならば、丙山が、午後一〇時三三分ころには座り込んでいた、午後一〇時五〇分ころにはぐったりして腹痛を訴えていた、午後一一時二五分に診察を受けたときには心停止、呼吸停止の状態で、心肺蘇生術を施されたが翌日午前零時一五分に死亡が確認された、という経過は、医学的に相当なものである。

(2) 大島鑑定の概要

これに対し、大島鑑定人は、成傷器及び腸間膜断裂発生時刻について以下の意見を述べ、午後一〇時三〇分ころの膝蹴り行為と丙山の死亡の因果関係の相当性に疑問を挟む。

<1> (一)(1)の大網出血及び同(3)の腸間膜断裂は、ほぼ二二センチメートル×一六センチメートルくらいのやや広い作用面を有し、内部に一部硬固な構造物を有する表面柔軟な鈍体、いわゆる軟鈍体が、腹部にやや強く打撲的圧迫的ないし圧迫的打撲的に作用したことに基づくと思料される。作用面の広さから考えると、一回の膝蹴りでは右の大網出血は生じない。また、膝蹴りが加えられたならば、限局性の出血が生じるはずであるが、右大網出血が播種性、すなわち、一様均等な出血であることに照らすと、数回の膝蹴りがあったとも考え難い。したがって、膝が成傷器である可能性は低い。

<2> 断裂部位を走っている血管は上腸間膜動脈の分枝であり、その部位からしてそれほど太い動脈ではないこと、大動脈が太いところで破裂したような場合には出血部に血腫が見られることがあるが、丙山の出血部には血腫がなかったこと、司法解剖時、丙山の腹腔内貯留血液中に軟凝血塊が認められたが、動脈から急激に大量の出血があった場合凝血塊は生じないこと、司法解剖時の丙山の腹腔内貯留血液量は約二八〇〇ミリリットルであり、病院で施された約八〇〇ミリリットルの輸液分を控除しても出血量は約二〇〇〇ミリリットルであるが、急激な出血であれば致死出血量は多くても一五〇〇ミリリットル程度であること、及び丙山の腹腔内貯留血液の色調が暗赤色で静脈出血が主体であり、勢いよく出血する動脈は断裂していないか、不完全な断裂にとどまっていると思われることなどからすると、丙山の腹腔内出血は少量の出血が長時間継続した結果と考えるのが相当であり、腸間膜断裂による腹腔内出血が午後一〇時三〇分に開始したとすれば、午後一〇時三三分ころに出血の影響で丙山がしゃがみ込むのは早過ぎる。

(3) 公判調書中の証人高津光洋の供述部分(高津証言)及び高津鑑定人ほか一名作成の鑑定書(弁一一)の意見の概要(以下、高津証言とその鑑定書の内容を「高津鑑定」ともいう。)

高津鑑定は、成傷器については、膝であってもかまわないとするが、出血速度については、概ね大島鑑定に沿っている。そして、午後一〇時三三分ころ丙山がしゃがみ込んだことを前提として、その原因につき、疼痛によるのであれば、その後もしゃがみ込んだままで、死亡してしまうということはあり得ない、午後一〇時三〇分ころ蹴られて、午後一〇時三三分ころに痛みのためにしゃがみ込むのは不自然である、と論じて疼痛ではなく出血性ショックと認定した上、約三分程度で出血性ショックを発症するのは早過ぎるとして、午後一〇時三〇分ころ腸間膜断裂が発生したという認定の相当性を否定する。

また、「緩徐な出血の場合、死亡に至るまでの出血量が急性出血の場合よりも多くなることがあるが、そのような場合は、脳が著しい乏血状になるはずである。」との若杉鑑定人の知見に対しては、出血により循環血液量が減少した場合、脳や心臓といった重要臓器への血流を維持するため他の臓器への血流が減少するのであり、緩徐な出血が継続して通常の致死出血量よりも多量の出血が生じても脳は乏血状態にならないと反論する。

(四) 法医学鑑定についての検討

(1) 成傷器について

<1> 大島鑑定は、肋骨の無い部位では湾曲度が緩いので、膝が腹部を圧迫しても均等に放射状に力が作用するとは考え難く、膝の先端部が当たった箇所に強い圧力がかかり、大網に限局性の出血が生じるはずである旨指摘する。

<2> しかし、成傷器に関する高津鑑定及び若杉鑑定の知見は、膝頭によっては播種性、稍密に散在する点状の大網出血は生じないとの大島鑑定とは異なる上、被告人が前傾姿勢になっていた丙山の頭を右脇に挟む体勢で膝を上げて丙山の腹部を蹴れば、被告人の膝頭付近の大腿部が丙山の腹部を圧迫する可能性も十分にあるが、大腿部は大島鑑定人が想定する成傷器の特徴を備える。

<3> したがって、成傷器に関する大島鑑定人の知見を前提としても、被告人の膝蹴り行為により腸間膜断裂が生じたとの認定は相当である。

(2) 腸間膜断裂の発生時刻について

<1> 証拠によれば、丙山が死亡するまでの同人の状態は以下のとおりである。

ア 丙山は、午後一〇時三〇分ころ、山本巡査部長が被告人の間に分け入って離したとき、大きく息を吐きながらその場に両足を着いたまましゃがみ込み、肩を動かしながらの呼吸を繰り返していた。

イ その数分後、丙山は、戊田と肩を組む格好で四二〇号車に乗せられたとき、戊田に寄りかかりながらも自分の足で歩き、「腹が少し痛いんや。」と言い、しばらく四二〇号車の後部座席で横たわったり座ったりしていた。

ウ 悪酔いした丙山が四二〇号車内で嘔吐したら困ると思った田中巡査が、四二〇号車の傍らでともに雑談していた戊田に、丙山を本件自動車に移すよう指示したことから、丙山は、間もなく、戊田に抱えられて本件自動車の後部座席に移された。

エ 丙山は、午後一〇時五〇分過ぎころ、本件自動車の後部座席に横たわって、「痛い、痛い」と訴えてもがいていた。

オ 丙山は、午後一一時過ぎころ、病院に搬送する途中の本件自動車内では、「大丈夫か」と問いかけられても反応せず、午後一一時五分か一〇分ころ病院に到着したときにはほぼ行動能力を失っており、その後、若狹巡査と丁村に上半身を、乙川に下半身を抱えられて車椅子に乗せられ搬送された。

カ 丙山は、午後一一時二五分に医師の診察を受けた時点では、心停止、呼吸停止、瞳孔散大、対光反射なしという状態に陥っていた。

<2> そこで、午後一〇時三〇分ころ腸間膜断裂が発生したと認定した場合に、その後死亡に至るまでの経過が医学的に相当と認められるか否かを検討する。

まず、右認定を前提として、丙山がしゃがみ込んだ原因を出血性ショックの発症であるとするならば、<1>アのとおり、丙山がしゃがみ込んだのは被告人から引き離された直後であるから、出血性ショックが発症するのは早過ぎると考えられる。

すなわち、出血性ショックを発症する出血量は少なくとも三〇〇ミリリットルないし四〇〇ミリリットルであるが(大島証言第一四回一九丁)、膝蹴りを受けて腸間膜断裂が発生し、その直後のしゃがみ込んだ時点でこれだけの出血が生じていたとすればかなり急激な出血であり、その後<1>イ、エのような行動をとる能力は残っていたとは考え難い。

むしろ、腹部を強打すると、痛みのため、あるいは息が詰まってしゃがみ込むことがあり得ることは経験則上認められ、このことは若杉鑑定人や高津鑑定人も認めるが、<1>アの時点で大きく息をしていたことに着目すると、丙山がしゃがみ込んだ原因は出血性ショックではなく腹部を蹴られたことによる疼痛や息苦しさと考えられる。

高津鑑定人は、疼痛や息苦しさのみが原因であれば、それらが和らげば普通に行動できるはずだが、その後行動能力を回復することなく死亡したという経過に照らすと、しゃがみ込んだことを出血性ショックの発症と見るべきだと指摘する。

しかし、丙山がしゃがみ込んだ後、自力で立ち上がることができなかったのは、被告人や若狹巡査と組み合ったことによる疲労、酩酊(少なくとも中程度)及び程度はともあれ貧血等の影響であると考えることも十分可能であるから、通常の行動能力を回復しなかったからといって出血性ショックの発症と断定することはできない。

同鑑定人は、午後一〇時三〇分ころ蹴られて約三分経過した午後一〇時三三分ころ疼痛のためにしゃがみ込むというのはおかしいというが、警察官ともみ合いをしてから約三分を経過した午後一〇時三三分ころ丙山がしゃがみ込んだということを前提としており、また、大島鑑定及び若杉鑑定も、午後一〇時三〇分ころ腸間膜断裂が発生したと仮定して、その後の経過が医学的に相当であるか否かを鑑定するに際し、同様の事実を前提としているが、この前提は認定事実と異なる。

<3> 腸間膜断裂が発生して数分後、他人に肩を貸してもらいながらも自力で歩行し、「腹が少し痛いんや。」と言ったり、四二〇号車の後部座席で動いたりするだけの行動能力を有していたこと、<1>エのように痛みを訴えていたことについては、若杉鑑定はもとより、大島鑑定、高津鑑定も医学的に矛盾があると指摘するものではない。

すなわち、大島鑑定は、急激な出血を否定した上で、死亡に至るまでの総出血量を腸間膜断裂発生時から死亡時までの時間で割り、一分間あたりの平均出血量を約一六ミリリットルと算出し、この数字は犬の腸間膜の血流量から類推した数字とほぼ一致するので、概ね妥当であろうと述べる。

しかし、同鑑定人も自認するように、犬の腸間膜の血流量から人間の腸間膜断裂の場合の出血速度を推定するのは無理があり、総出血量も二〇〇〇ミリリットル以上であった可能性もある(二〇〇〇ミリリットルというのは、病院で施された輸液約八〇〇ミリリットルがすべて腹腔内に漏出したと仮定した場合の数字であるが、必ずしも輸液がすべて漏出するわけではないことは同鑑定人も認める。)のであるから、大島鑑定も、一分間に約一六ミリリットルを超える出血があった可能性を否定しないものと解される。

そもそも、大島鑑定は、約三分間で出血性ショックを発症するような急激な出血、換言すれば、一分間の出血量が一〇〇ミリリットルを超えるような急激な出血(同鑑定によると、急激な出血であれば、三〇〇ミリリットルないし四〇〇ミリリットルの出血があった時点で出血性ショックが発症し得る。)を否定するものであって、一分間に数十ミリリットルの出血が継続した可能性までも否定していない。

丙山の総血液量が約四九〇〇ミリリットルと推定されること、その約三分の一が失われると生命の危険が生じ、約二分の一が失われるとほぼ確実に死亡することはいずれの鑑定人も認める。そして、午後一一時二五分に丙山は心停止、呼吸停止、瞳孔散大、対光反射なしという状態だったことから、右時刻までに約一六〇〇ミリリットルないし約二四〇〇ミリリットルの出血があったと推定されるが、午後一〇時三〇分ころに腸間膜断裂が発生したと仮定すると、大島鑑定に従って一分間あたりの平均出血量を計算すると約三〇ミリリットルないし約四五ミリリットルになるが、右に述べた大島鑑定の趣旨に照らすと、この程度の出血速度も同鑑定の排斥するところではないと解される。

そこで、一分間に約三〇ミリリットルないし約四五ミリリットルの出血が継続したと仮定すると、午後一〇時三〇分から一〇時五〇分までの約二〇分間に約六〇〇ミリリットルないし約九〇〇ミリリットル、午後一一時五分ころまでの約三五分間に約一〇五〇ミリリットルないし約一五七五ミリリットルの出血があったことになるが、大島鑑定も、この出血量と右認定経過の整合性を否定しない趣旨と解される。

高津鑑定も、約三分程度で出血性ショックを発症するほどの急激な出血は否定するが、右に述べた一分間あたり約三〇ミリリットルないし約四五ミリリットル程度の出血速度を否定する趣旨とは解されない。

<4> また、大島鑑定は、緩徐な出血と認めた理由として、腹腔内貯留血液の色調が暗赤色であったこと、凝血塊があったこと及び出血部位に血腫が認められないことも挙げるが、これらも前記のとおり、約三分程度で出血性ショックを発症するほどの急激な出血を否定する理由にとどまるものと認められる。

したがって、先に認定説示したとおり、しゃがみ込んだのは出血性ショックの発症ではないとの事実を前提とすれば、右の各知見は膝蹴りを受けた午後一〇時三〇分ころに腸間膜断裂が発生した可能性を否定するものではない。

高津鑑定も、「腸間膜断裂部周囲に血腫が認められないので、太い動脈は断裂していなかった可能性が高い。大動脈近くで上腸間膜動脈が切断されると、貯留血液も鮮赤色動脈血の面影を残していることが多い。」旨の知見を述べるが、これも数分で出血性ショックを発症するほど急激な出血を否定するに過ぎず、前記認定経過と午後一〇時三〇分ころの腸間膜断裂発生が矛盾すると言うものではない。

<5> 以上、認定説示したとおり、腸間膜断裂発生時以降、概ね一様の速度の出血が継続したのか、あるいは、当初急激な出血があり血圧が低下するにつれて緩徐な出血になったのかは俄に判定できないが、前記のとおり、午後一〇時一〇分ころの交通事故によって丙山は腹部を強打していないこと、及びしゃがみ込んだのは出血性ショックの発症ではないという認定を前提とすれば、いずれの知見によっても、午後一〇時三〇分ころ以降の経過に照らして、午後一〇時三〇分ころに腸間膜断裂が発生したという認定が医学的に相当であると認められる。

(五) よって、被告人の膝蹴り行為と丙山の死亡の間には相当因果関係があると認められる。

五  以上のとおり判示の犯罪事実が認定できるところ、被告人が丙山に膝蹴りを加えるに至った事情及びその際の状況を考慮しても、これが警察官として正当な職務執行行為に該当するとは到底いうことはできない。

(適用法令)<省略>

三 訴訟費用 刑訴法一八一条一項本文(被告人の負担とする)

(裁判長裁判官 石山容示 裁判官 春名郁子 裁判官 山本正道)

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